Arab Spring : アラブの春

The Arab Spring (Arabic: الربيع العربي‎ ar-Rabīʻ al-ʻArabī), also referred to as Arab Revolutions (Arabic: الثورات العربية‎ aṯ-‘awrāt al-ʻarabiyyah), was a revolutionary wave of both violent and non-violent demonstrations, protests, riots, coups, foreign interventions, and civil wars in North Africa and the Middle East that began on 18 December 2010 in Tunisia with the Tunisian Revolution.

The effects of the Tunisian Revolution spread strongly to five other countries: Libya, Egypt, Yemen, Syria and Bahrain, where either the regime was toppled or major uprisings and social violence occurred, including riots, civil wars or insurgencies. Sustained street demonstrations took place in Morocco, Iraq, Algeria, Iranian Khuzestan, Lebanon, Jordan, Kuwait, Oman and Sudan. Minor protests occurred in Djibouti, Mauritania, the Palestinian territories, Saudi Arabia, and the Moroccan-controlled Western Sahara. A major slogan of the demonstrators in the Arab world is ash-shaʻb yurīd isqāṭ an-niẓām (“the people want to bring down the regime”).

The wave of initial revolutions and protests faded by mid-2012, as many Arab Spring demonstrations were met with violent responses from authorities, as well as from pro-government militias, counter-demonstrators and militaries. These attacks were answered with violence from protesters in some cases. Large-scale conflicts resulted—the Syrian Civil War, Iraqi insurgency and the following civil war, the Egyptian Crisis, coup and subsequent unrest and insurgency, the Libyan Civil War, and the Yemeni Crisis and following civil war.

A power struggle continued after the immediate response to the Arab Spring. While leadership changed and regimes were held accountable, power vacuums opened across the Arab world. Ultimately it came down to a contentious battle between a consolidation of power by religious elites and the growing support for democracy in many Muslim-majority states. The early hopes that these popular movements would end corruption, increase political participation, and bring about greater economic equity quickly collapsed in the wake of the counter-revolutionary moves by foreign state actors in Yemen and of the Saudi-UAE-linked military deep state in Egypt, the regional and international military interventions in Bahrain and Yemen, and the destructive civil wars in Syria, Iraq, Libya and Yemen.

Some have referred to the succeeding and still ongoing conflicts as the Arab Winter. As of May 2018, only the uprising in Tunisia has resulted in a transition to constitutional democratic governance.

アラブの春とは、2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府デモを主とした騒乱の総称である。2010年12月18日に始まったチュニジアのジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。また、現政権に対する抗議・デモ活動はその他の地域にも広がりを見せており、アラブの春の事象の一部に含む場合がある。各国におけるデモは2013年に入っても続いた。なお、“Arab Spring”という言葉自体は2005年前後から一部で使用されていたものである。

一方で、2012年に入ると政権の打倒が実現したエジプトやリビアでも国内の対立や衝突が起きるなど民主化に綻びが見られ始めた。また、遅れて反政府デモが盛り上がりを見せたシリアでは泥沼の内戦状態に突入し、国内のスンナ派とシーア派の対立やアルカイダ系の介入などによる火種が周辺国にも影響を及す恐れが懸念されるようになった。そして2014年には、元アルカイダ系のイスラーム過激派組織「ISIL」がシリアとイラクの国境をまたぎ台頭し、地域情勢はこれ以降深刻な事態に陥っている。国際的な支援を得られなかったアラブの春は、一部地域を除き事実上挫折した。

概要

中東地域は、世界の原油・天然ガスの産出・埋蔵量の多くを持ち、アラブ世界の中のユダヤで核保有国と目されるイスラエル、世界の大動脈スエズ運河、シーア派の大国のイラン、アフリカ寄り路線を進め、アラブ諸国ともアメリカとも対立するカダフィ大佐のリビア、多数派スンナ派が少数派シーア派を支配し、石油の富が公平に分配されていない湾岸諸国を抱えている。数度の戦争が起きた地域であり、情勢が不安定である。

チュニジアやエジプトなど30年以上の長期独裁政治が、数ヶ月足らずの間に相次ぐ民衆のデモ活動で揺らぐことになった。当初、特にイラン(シーア派、反米)、イスラーム主義、イスラーム過激派、軍部、宗教指導者などの影響は限定的であり、民衆の力によって次々と影響が広がっているため、騒乱収束後の展開は流動的であると考えられていた。

蓋を開けてみると、2011年10月23日にチュニジアで行われた選挙の結果はこれに反し、ムスリム同胞団の影響を受けたイスラーム系政党「アンナハダ」が第一党の地位を獲得することとなった。今後は経験の浅いイスラーム系政党がどのように地域の安定化を図るか注目されている。一方、イスラエルやアメリカ合衆国、また国際連合に対する支持は薄いとされている。

世界経済が不調の中、もともとエジプトの騒乱では小麦価格の高騰による貧困層の困窮や、若年失業率(多いところでは5割)の大きさが原因としてあげられている。逆に革命を引っ張っているのは、まだ少数ながら教育を受け経済力を持ち、情報手段を持つ「中間層」である。

これらの革命の背景にはソーシャルネットワーク (SNS) の役割も大きいとされる。衛星放送やインターネットの普及で情報は瞬時に伝わり、携帯電話、ツイッター、フェイスブックなどで抗議活動に関する呼びかけなどが行われた。さらにイスラム教の合同礼拝(国民的宗教行事のため禁止は不可能)のため合法的に人が集まり、情報や人々の感情などが直接伝わることも革命を後押しするのに功を奏した。様々な情報に加えて、政権側によるデモの弾圧などで犠牲となった死者の棺は大通りを練り歩き、治安部隊などの行動は周知されることとなった。

事件の発端

2010年12月17日、チュニジア中部シディ・ブジド(スィディ・ブーズィード)にて失業中だった26歳の男性モハメド・ブアジジ(ムハンマド・ブーアズィーズィー)(アラビア語:محمد البوعزيزي)が果物や野菜を街頭で販売し始めたところ、販売の許可がないとして警察が商品を没収。これに抗議するためにガソリン(もしくはシンナー)をかぶり火をつけ、焼身自殺を図った。チュニジアでは失業率が公表されている14%よりも高く、青年層に限れば25〜30%という高い水準に達しており、同様に街頭で果物や野菜を売り生計を立てる失業者も多かった。このトラブルがブアジジと同じく、大学卒業後も就職できない若者中心に、職の権利、発言の自由化、大統領周辺の腐敗の罰則などを求め、全国各地でストライキやデモを起こすきっかけになったとされている。次第にデモが全年齢層に拡大し、デモ隊と政府当局による衝突で死亡者が出るなどの事態となった。やがて高い失業率に抗議するデモは、腐敗や人権侵害が指摘されるベン=アリー政権の23年間の長期体制そのものに対するデモとなり、急速に発展していった。その後、チュニジアの政権は崩壊した。

広範囲へ拡大

チュニジアでの一連の出来事(ジャスミン革命)は、瞬く間にアラブ諸国へ伝わった。

ヨルダンでも早い段階で反政府運動が飛び火し、サミール・リファーイー内閣が2011年2月1日に総辞職。エジプトでは1月25日より大規模な反政府抗議運動が発生、これにより30年以上に亘るホスニー・ムバーラク大統領下による長期政権が崩壊した(2011年エジプト革命)。また、立憲君主国のバーレーンでも反政府運動が計画され、政府は給付金を全世帯に給付するなど対処したようにみえたが、首都マナーマの真珠広場で行われた中規模反政府集会を政府動員の治安部隊が強制排除し、死者が出る事態となっている(2011年バーレーン騒乱)。

カダフィ大佐による独裁体制が敷かれているリビアでも、カダフィの退陣を要求するデモが2月17日に発生、2月20日には首都トリポリに拡大し放送局や公的機関事務所が襲撃・占拠され、軍はデモ参加者に無差別攻撃を開始し多数の犠牲者が出た。政府側はサハラ以南のアフリカから多額の時給で民兵を雇用し、反政府派も施政権が及ばなくなったとされる東部や南部を武器をとり掌握するなど勢力を拡大、首都での戦いが避けられないという見方が報道によりなされた。これをうけ国連安保理は「民間人に対する暴力」としリビアに対し経済制裁と強い非難決議を採択した。その後、半年間に及ぶ事実上の内戦状態に突入したが、NATOによる軍事介入などの支援の成果もあり、8月24日には首都トリポリが陥落、42年間に及ぶカダフィ政権が崩壊した(2011年リビア内戦)。さらに、シリアでもアサド政権側の政府軍と反体制組織等による事実上の内戦状態に突入しており、死者数が数万人に及ぶなど泥沼化している(シリア内戦)。先のカダフィ政権崩壊後の動きとして、イエメンではこれまで続いてきた抗議運動の高まりにより、北イエメン時代から約33年間に渡り政権を維持してきたサーレハが大統領権限を委譲し辞職するに至った(2011年イエメン騒乱)。

なお、アラブ諸国の中でデモなどの動きがほとんどない国としてカタールなどが挙げられる。

一方でこれらアラブ諸国の情勢に便乗して、イランはエジプトやバーレーン、イエメンの野党・反政府勢力に接触し、影響を与えることを画策しているとの見方もある。また、これまで権力を独占してきた政権が崩壊した混乱により、軍が保有している武器が政府のコントロール下を離れテロリストに流出しており、テロリストの武装強化や凶悪化に繋がる事態にもなっている。さらに、内戦が泥沼化しているシリアでは国内のスンナ派とシーア派の対立やアルカイダ系の介入による火種が周辺の国々にも影響を及ぼし始めており、2014年には元アルカイダ系のイスラーム過激派組織「ISIL」がイラクとの国境をまたいで台頭するなど、アラブ地域において深刻な事態となっている。

アラブ諸国以外への波及

現政権に対するデモなどの動きはアラブ以外の諸国にも広がり、中国共産党一党独裁下である中華人民共和国でも、チュニジアのジャスミン革命に追随しようとする運動の呼びかけがインターネットの掲示板等に書かれ、当局はネット規制とデモ場所によびかけられた北京王府井での警備体制を強化した。この他、ロシアやイスラエルなどでも大規模なデモが発生している。

各国の状況

政権の打倒

チュニジア

2010年12月17日にモハメッド・ブウアジジが焼身自殺した事件をきっかけに、反政府デモが国内全土に拡大した。軍部の離反により2011年1月14日にはザイン・アル=アービディーン・ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊した。この事件はジャスミン革命と呼ばれた。

アラブの春が起こった国では、テロの増大や無政府状態になるなど混乱が広がる国が多数であるが、チュニジアはアラブの春が起こった国の中で、唯一、民主体制への移行が実現した。

エジプト(2011年エジプト革命)

チュニジアのジャスミン革命に触発され、2011年1月25日より大規模な反政府デモが発生した。ホスニー・ムバーラク大統領は2月11日にエジプト軍最高評議会に国家権力を委譲し、30年に及ぶムバーラクの独裁政権に終止符が打たれた。

その後はエジプト軍最高評議会による暫定統治が行われ、12月7日には同評議会から指名を受けたカマール・ガンズーリを首相とする暫定政権も発足したが、軍の統治などの現状に反発する民衆によってデモが継続された。

ムバーラク政権が崩壊してから1年目の2012年2月11日にはエジプト軍最高評議会(軍政)及び選挙で第1党になったムスリム同胞団への批判デモがあったが参加者は50人程度で散発的にシュプレヒコールをする程度であった。朝日新聞によると今のデモ参加者は不満を口する程度でデモから距離を置く市民も少なくないという。2012年5月に大統領選挙が行われ、ムスリム同胞団のムハンマド・ムルシーがエジプト大統領に選出されたが、2013年エジプトクーデターにより憲法が停止、大統領権限を喪失した。

リビア(2011年リビア内戦)

2011年2月15日に発生した人権活動家の弁護士の釈放要求デモをきっかけにカダフィ大佐の退陣を求めるデモが国内で拡大。2月20日には首都トリポリにまで飛び火し、多数の犠牲者が出た。カダフィやその息子らは改革の姿勢を見せつつもデモに対する強硬な姿勢をとり、国民に対する弾圧は欧米を中心とした軍事介入を招いた。リビアは事実上の内戦に突入し事態は長期化するかに思えたがNATOとリビア国民評議会を主にした反政府組織の綿密な作戦が功を奏し、8月24日に首都が陥落、42年間に及ぶカダフィ政権は崩壊した。

以後もカダフィ派による抵抗は続いていたが、国民評議会は9月21日にカダフィ派の諸点の一つである南部サブハを制圧すると、翌10月には残るバニワリドとシルトを17日、20日にそれぞれ制圧し全土を掌握した。シルトの制圧においてカダフィ本人が発見されたが、拘束時に受けた攻撃により死亡した。これによりカダフィ体制は名実ともに終焉を迎えた。

イエメン(2011年イエメン騒乱)

イエメンでは、サーレハ大統領の退陣を求める反政府抗議活動が発生。2011年2月3日のデモでは2万人以上が集る大規模なものとなった。サーレハはその前日の2月2日、2013年に行われる次期大統領選に出馬しないこと、世襲もしないと表明した。湾岸協力会議(GCC)が政権移譲を含めた調停を試みたが、サーレハは受け入れを拒否し続け、11月23日になってようやく30日以内にアブド・ラッボ・マンスール・ハーディー副大統領に大統領権限を移譲することに同意。12月10日に暫定政権が発足し、2012年2月21日に投開票された暫定大統領選挙でハーディーが当選し就任。サーレハ体制は終焉を迎えた。

一方で、サーレハは退任する代わりにデモの弾圧などを含めて恩赦(追訴免除)することが条件となっており、2012年1月にはサーレハのこれまでの33年間の行いに対する全面的恩赦とその側近の政治に関する部分の恩赦を認める法律が可決したことから、サーレハの処罰を求めてデモが継続された。

イエメンのデモ活動に参加していたタワックル・カルマンは、女性活動家という名目ではあるが2011年のノーベル平和賞を受賞した。

デモにより何らかの結実がみられた国家

アルジェリア(2010年-2011年アルジェリア騒乱)

アラブ諸国の中では早期にデモが飛び火した。この影響を受け、アブデルアジズ・ブーテフリカ大統領は1992年以来発令されたままの状態となっており、野党勢力弾圧の有力な手段となってきた非常事態宣言を2011年2月24日に解除した。非常事態宣言の解除はデモ側による要求の一つであった。民主的改革の一環として、大統領が国の憲法改正を求めることが4月15日に発表された。

2012年1月には南部の都市で再び抗議活動が活性化した。

モロッコ(2011–12 Moroccan protests)

2011年2月20日には、首都ラバトやカサブランカなど国内の50ヶ所で、フェイスブックで情報を共有した若者達数千人が国王権限の縮小を盛りこんだ新憲法の制定を要求するデモが発生。当初ムハンマド6世はデモに譲歩しない姿勢を明らかにしたが、最終的には国王権限を縮小し議会権限を拡大することに合意。7月に改憲が行われ、11月25日の議会選挙で穏健派イスラム政党が第一党になった。2012年1月3日にはアブデルイラーフ・ベン・キーラーンを首班とする新内閣が発足し、今後は王政を維持したままでの緩やかな民主化が期待されている。

サウジアラビア(2011年サウジアラビア騒乱)

サウジアラビアのアブドゥッラー国王は2011年1月29日にエジプトのムバーラク大統領と電話で会談し、デモを行なっている反政府勢力は「表現の自由の名の下でエジプトの治安と安定を危うくする」と非難、ムバーラクを支持する考えを示した。「自由青年同盟」を名乗るサウジアラビアの若者グループが2011年3月11日を「怒りの日」としてフェイスブックを通してデモを呼びかけた結果、賛同者は1万人に上った。

その後も政治改革要求は続き、9月25日にはアブドゥッラー国王が地方行政区評議会に対する選挙権・被選挙権を女性にも与える意向であることが明らかとなった。

ヨルダン(2011–12 Jordanian protests)

ヨルダンの首都アンマンでも大規模な反政府抗議運動があり、穏健派イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」や左派系団体など数百人が加わった。これをうけサミール・リファーイー内閣が2011年2月1日、総辞職した。内閣が総辞職し国王が政治改革にたいして肯定的な姿勢を見せ、数日後にはデモへの参加者は減った。しかしながら、ベドウィン系部族が、貧窮する国民をよそにラーニア王妃の主催している豪華な誕生日パーティーや海外旅行が公費で行われていることに対し「自らのイメージアップのために国民のお金を不正に流用している」と批判している。王室批判はタブーであるのと同時に、この部族が元々王室支持者だったために波紋が広がっており、この件によって今後の状況が内閣辞任要求から王室打倒にまで至る可能性がある。2月25日、ムスリム同胞団が呼びかけた6,000人のデモが行われ、国王権限の制限を要求した。

11月時点でもデモは継続中である。アブドゥッラー国王は正式に内閣を解任し、10月17日より新政府を率いている。

レバノン(2011 Lebanese protests)

レバノンの一部でも平等な社会の実現を求めて2011年2月以降デモが実行され、3月にはヒズボラの武装解除を求めるデモも行われている。デモに対し政府は賃金の40%増を約束した。またシリア内戦が飛び火し、宗派間の対立も発生している。

イラク(2011 Iraqi protests)

ヌーリー・マーリキー首相が2014年に3期目の再選をしないことを発表しているが、公共サービスの公平性や安全保障の効果的な見直し、高い失業率への有効な対策、電気や水不足に起因する州知事の辞任などを求めて2011年2月以降デモが実行されている。これに対して、州知事や地元当局の辞任が発表され、また政府により電気代を補助することが約束された

クウェート(2011-12 Kuwaiti protests)

チュニジアやエジプトの独裁体制が倒れて以降、クウェートでもサバーハ家による事実上の独裁に不満を抱く反政府デモが起きるなど改革要求の動きが強まっている。2011年2月18日に同国中部のジャハラで市民権を持たない数千人による住民がデモを起こし、治安部隊と衝突。30人が負傷している。

11月に入り数百人のデモ隊がナセル首相の汚職疑惑を巡り議会に乱入、内閣は責任をとって28日に総辞職、首長はジャビル国防相を新首相に任命した。サバハ首長は12月に国民議会を解散する勅令を出した。憲法の規定では、2ヶ月以内に総選挙が実施される。

バーレーン(2011年バーレーン騒乱)

バーレーンでは2011年2月14日に反政府デモが計画されていたが、直前の12日、政府はこれに対抗する形で、1000バーレーン・ディナールの臨時給付金を全世帯に支給。しかしデモはマナーマや東部のディヤで予定通り行われ、排除した警察により1人が死亡している。15日にも、葬儀のため集まった群衆と治安部隊が衝突、発砲で1人が死亡している。こうした動きに対して湾岸協力会議(GCC)は合同軍「半島の盾」を派遣し反政府デモ参加市民を次から次へと拘束し、またバーレーン政府自身も3月中旬から約2ヶ月半にわたって非常事態を宣言するなどしてデモを力づくで抑えこんだ。その結果、デモ自体は沈静化しているものの、治安部隊とシーア派との衝突はいまだに続いている。

デモへの応答として、政治犯の一部釈放やハマド国王による経済的譲歩(各世帯に現金支給)が実行され、また、シーア派代表との交渉が持たれている。11月23日には政府が設置した調査委員会「BICI」により、デモ参加者に過剰な武力行使が加えられたことが認められ、これに対して政府は法律の改正や人権監視機関の設置に向けて取り組んでいくと表明している。

オマーン(2011 Omani protests)

2011年2月27日、デモ隊が警官隊と衝突し4人が死亡した。28日にはソハール港につながる道路を1000人のデモ隊が封鎖した。

オマーンのカーブース・ビン・サイード国王は、国内外の情勢が不安定なことからインドへの訪問をキャンセルした。また、デモへの応答として、内閣の改造や学生・失業者への手当、最低賃金に焦点を当てた政策を推し進めている。その他に、これまで諮問機関であった議会に立法および規制権限を付与すること、閣僚理事会によって構成される省の廃止、協同組合設立の可能性への検討、軍隊などに生活費手当を追加、社会保険年金の引き上げ、地域で初となるイスラム銀行の設立、国内2つ目となる国立大学の設立などを約束している。さらに、議会は破壊活動を非難し、平和的なデモ活動は市民の法的権利内にあるとの声明を発表。その後のサラーラでの暴力的な抗議も鎮圧され、5月以来、主要なデモは起きていない。

大規模なデモに発展・デモが継続中

シリア(シリア騒乱)

バッシャール・アル=アサド大統領率いるバース党による一党独裁が続くシリア・アラブ共和国では、2011年4月15日に大規模な民主化要求運動が発生、治安当局と参加者との衝突で、首都ダマスカスではデモ隊約20人ほどが負傷したとロイター通信が報じた。その後も、政権側と複数の反政権組織及びデモ隊らの衝突が続き、事実上の内戦状態となっている。反体制派によれば、騒乱発生以降、2012年8月の時点で死者は2万3000人以上に上っていると推計されている。

小規模なデモに留まる・政権側により制圧

モーリタニア(2011–12 Mauritanian protests)

ヌアクショットの議会前にて、政権に不満を持った実業家が車内で焼身自殺を図った。2011年2月25日、首都ヌアクショットで数百人規模のデモが行われた(人口は約300万人なので、かなりの割合で参加していることになる)。その後もデモが継続している。

西サハラ(2011 Western Saharan protests)

2010年10月より人権侵害や労働者差別、雇用不足、資源の略奪などに抗議して一連の小規模なデモがすでに起きており、2011年2月以降のデモもその流れを汲んで行われた。

スーダン(2011‐13 Protests in Sudan)

2011年1月30日、オマル・アル=バシール政権の打倒を叫び学生らがデモを起こす。バシール大統領は2015年の大統領選で再選を求めないと発表している。

ジブチ(2011 Djiboutian protests)

2011年2月18日にはイスマイル・オマル・ゲレ大統領の3選に抗議し、今期限りの退陣を求める数千人のデモが発生し、ジブチ市郊外でデモを鎮圧しようとした警察官1人が死亡している。翌日の19日にもデモが発生している。イギリスに在住しているジブチ人のデモ支援者によれば、平和的なものであったという。

ソマリア

イスラエル国境への波及(2011 Israeli border demonstrations)

アラブ以外の類似の活動(Impact of the Arab Spring)

中国(中国ジャスミン革命)

インターネットの呼びかけにより、現在の一党独裁体制からの脱却及び民主化を目的として計画されたデモ。2011年2月20日には13都市での開催の呼びかけにより大人数が集まったが、中国政府がインターネットの監視や外出禁止令などを強化したこともあり以降は下火となっている。中国版ジャスミン革命とも称される。

アメリカ合衆国

ウィスコンシン州の職員らによる抗議運動(2011 Wisconsin protests)

2011年2月、ウィスコンシン州で共和党出身の州知事スコット・ウォーカーらが推し進める州職員の集団交渉権を制限する法案に対して、職員らによるデモが他の州も巻き込んで広がった。法案は成立したが、成立の手続きなどに問題があったとして民主党が訴訟を起こし裁判で争われている。また、州知事ら複数の共和党議員のリコールを求め署名運動が展開されている。以後、同様の法案の成立を目指す動きは他の州にも広がり、オハイオ州で可決した際にも10万人規模のデモが行われた。

ウォール街を占拠せよ

カナダ人の雑誌編集者で雑誌アドバスターズの創始者カレ・ラースンが金融界を批判するデモを呼びかけた。2011年10月1日にはブルックリン橋におけるデモで700人以上が警察によって逮捕されるも、デモは全米に飛び火している。また、同様のデモはオーストラリアやイギリス、経済問題で揺れるイタリアなど世界各国でも展開されている。

イスラエル(2011 Israeli social justice protests)

イスラエルでも物価の高騰により、若者や中間所得者層を中心とした経済改革などを求めるデモが2011年7月以降、繰り返し発生している。特に8月6日のデモでは参加者がイスラエル全土で30万人を超え過去最大規模のものとなり、9月3日のデモでは40万人を突破した。さらに、アラブ系イスラエル人の地区などでは差別撤廃を要求する声も出ている。

ロシア(2011年ロシア反政府運動)

2011年12月4日のロシア連邦下院選挙における不正疑惑を発端として起こった反政府デモである。12月10日に野党の国民自由党が計画したデモの参加者は主催者発表で5万人、警察発表で約2万5000人となり、またモスクワ以外の10以上の都市で行われたデモの参加者は合わせて15万人規模という報道もあり、1991年のソ連崩壊以来、最大級のデモに発展している。長期強権統治を続けるプーチンへの不満も水面下にあり、デモの要求として選挙結果の見直しや不正疑惑の解明のほか、プーチン首相およびメドベージェフ大統領の退陣を求める声、政治犯の釈放を求める声も出ている。

アルバニア(2011年アルバニア反政府デモ)

アルバニアでも、政府関係者が不正の計画を話し合うビデオが流出したことがきっかけとなり、総選挙における不正の疑惑や政府関係者の腐敗と汚職、さらに高い失業率や貧困への不満が噴出し、2011年1月に死傷者を出すデモに発展した。

スペイン(2011–present Spanish protests)

クロアチア(2011 Croatian protests)

イラン(2011 Iranian protests)

その他(2010–2011 anti-government protests)

アラブの春でもたらされたその他の影響

アラブの春での悪影響を受けた国はイスラエルといわれている。革命の後、親イスラエルの体制だったエジプトではパレスチナ問題などのイスラエルとアラブ諸国の対立による反イスラエル感情からかイスラエル大使館への襲撃事件が起きている。また同時にイスラエル寄りのアメリカへの反発(反米)が膨れ上がっているともいわれている。

この他、パレスチナが9月24日に国連加盟申請を行ったことについて、アラブの春が後押しをしたという考察も出ている。