Bonnie and Clyde : ボニーとクライド

Bonnie Elizabeth Parker (October 1, 1910 – May 23, 1934) and Clyde Chestnut Barrow also known as Clyde Champion Barrow (March 24, 1909 – May 23, 1934) were American criminals who traveled the central United States with their gang during the Great Depression, robbing people and killing when cornered or confronted. Their exploits captured the attention of the American public during the “Public Enemy Era,” between 1931 and 1935. Though known today for their dozen-or-so bank robberies, the duo most often preferred to rob small stores or rural gas stations. The gang is believed to have killed at least nine police officers and several civilians. The couple were eventually ambushed and killed by law officers near Sailies, Bienville Parish, Louisiana. Their exploits were revived and cemented in American pop folklore by Arthur Penn’s 1967 film Bonnie and Clyde.

Even during their lifetimes, their depiction in the press was at considerable odds with the hardscrabble reality of their life on the road, especially for Bonnie Parker. While she was present at one hundred or more felonies during the two years she was Barrow’s companion, she was not the cigar-smoking, machine gun-wielding killer depicted in the newspapers, newsreels, and pulp detective magazines of the day. Gang member W. D. Jones later testified he could not recall ever having seen her shoot at a law officer, and the cigar myth grew out of a playful snapshot police found at an abandoned hideout. It was released to the press and published nationwide. While Parker did chain smoke Camel cigarettes, she never smoked cigars.

According to historian Jeff Guinn, the hideout photos led to Parker’s glamorization and the creation of legends about the gang. He writes

John Dillinger had matinee-idol good looks and Pretty Boy Floyd had the best possible nickname, but the Joplin photos introduced new criminal superstars with the most titillating trademark of all—illicit sex. Clyde Barrow and Bonnie Parker were wild and young, and undoubtedly slept together.

ボニーとクライドは、1930年代前半にアメリカ中西部で銀行強盗や殺人を繰り返した、ボニー・パーカー(1910年10月1日 – 1934年5月23日)とクライド・バロウ(1909年3月24日 – 1934年5月23日)からなるカップルである。

ルイジアナ州で警官隊によって射殺されるまで多くの殺人に関与し、数え切れないほど多くの強盗を犯した。当時のアメリカは禁酒法世界恐慌の下にあり、その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す彼等の事を凶悪な犯罪者であるにも拘らず、新聞も含めて英雄視する者も多かった。後にボニーとクライドの犯罪は何度か映画化されている。

ボニーとクライドが出会うまで

ボニー・パーカー

テキサス州ローウェナ出身。フルネームはボニー・エリザベス・パーカー。両親と兄妹の5人家族だったが、1914年に父親が死去したため、祖母の家があるダラス近郊のセメントシティーに引っ越す。セメントシティーは治安が悪く、子供をまともに育てるのに適した環境ではなかった。母親思いの優しい性格だったが悪戯もよくしたという。

当時のボニーは学校の成績もよく感想文で賞状を取ったりもしたが、逆上すると手がつけられなくなるという二面性を持っていた。鉛筆を盗んだクラスの同級生を呼び出して叩きのめしたこともあった。そして、高校の同級生だったレイ・ソーントンと16歳で結婚し、18歳の頃からカフェでウエイトレスとして働き始める。この頃のボニーは活発でよく働き、貧しい客には店のおごりにしたこともあったという。翌年に、レイが銀行強盗の容疑で刑務所に入れられたために離婚を考えるが、結局籍はそのままに、法的にはボニーとレイとの婚姻は生涯継続されている。

1930年に彼女はクライドに出会い、彼に「危険な香り」を感じて一目惚れし、以後行動を共にすることになる。

クライド・バロウ

テキサス州ダラス近郊のテリコ出身。フルネームはクライド・チェストナット・バロウ。ミドルネームが“チャンピオン”だったこともある。貧しい農家に、8人兄弟の6番目の子として生まれる。忙しかった両親に代わって姉が面倒を見ていたが、親戚に預けられることもあった。

クライドは、子供の頃から動物虐待を行っている所を近所の住民に目撃されるなど粗暴なことで有名だった。学校嫌いで、姉と一緒によくさぼって遊んでいたという。両親も忙しかったので、躾らしい躾は受けずに成長した。17歳の頃に兄も所属していたギャングに入っている。クライドの初めての犯罪は、クリスマス前に行った七面鳥泥棒だった。そして、1926年に自動車窃盗で逮捕されている。しかし、家族からは警察へ厄介になったことを非難されることも無く、むしろ擁護する態度をとられている。そのため、クライドは友人の家でボニーに出会うまでの4年間に、ダラス近辺で強盗を続けていた。

2人が出会ってから

2人が出会った直後にクライドは逮捕され、刑務所に収監されることになった。クライドは脱獄や保釈狙いの工作などをするが、結局2年の獄中生活の後に保釈されている。その後、クライドは更生することもなく、新しく仲間になったレイモンド・ハミルトンと共に再び犯罪に手を染めていく。繁盛していた商店へ強盗に入って主人のジョン・ブッチャーを殺害するなど、事件を起こしては逃走を繰り返し、ボニー(この頃彼女は別の強盗事件で逮捕、証拠不十分で釈放になっていた)に会う為にダラスに舞い戻っている(余談だが、レイモンドは後に強盗で得た儲けを仲間で分ける前にくすねた為、クライドからの信用を失い、最後は喧嘩別れした。さらにその後、クライドたちの情報をマスコミに流すようになる)。

ボニーとクライドが再会してからも強盗と殺人は続けられ、いつしかクライドは、犯罪集団「バロウ・ギャング」のリーダーとなっていた。メンバーには、クライドの兄のバックとその妻のブランシェもおり、他にも同じような犯罪を繰り返して来た者も居た。バロウ・ギャングのメンバーは、何度か入れ替わっているが、ボニーとクライドは常に一緒だった。それからも犯行は続けられ、強盗に入った商店の主人や保安官、警察官が次々と犠牲になっていく。

ボニーとクライドたちの強盗の手口は、クライドが店に入って金を奪い、ボニーが逃走用の車で待機。逃走経路を予め計画しておき、州境を越えてしまうというものだった。当時、警察が犯罪者を追跡出来る範囲は州内に限られており、州を越えられると手出し出来なかったからである。また連邦捜査局はまだ司法省の一部門「捜査局」に過ぎず、現在のような強力な法執行機関ではなかった。

2人は逃走用にフォード社の乗用車「フォードV8」を多用した(多くの場合、盗んで調達した)。この車はその名の通り強力なV型8気筒エンジンを搭載して1932年に発売されたばかりの最新モデルで、いわゆる「アーリー・フォードV8」。当時の大衆車の中で最高の速度と加速力を備えており、一味の周到な逃走計画とも相まって、警察の車では容易に追いつけなかった。フォード社長に対し、「貴社で製造していらっしゃるこのV8が本当に良く走るので、我々も非常に仕事がし易く、感謝している」むねの手紙をボニーとクライドが送ったというエピソードが知られているが、真偽は不明である。

最期

そんなボニーとクライド達の犯行を警察は黙って見過ごすはずもなく、常に逃げ回る日々が続くようになっていた。ボニーは逃走中の自動車事故で火傷を負い、警察との銃撃戦でクライドと兄のバックは重傷を負った。ブランシェは警察に捕まり、バックは傷が元で逃亡中に死亡。バロウ・ギャングのメンバーも逮捕者が相次いでいった。

仲間を次々失いながらも逃げ続けていたボニーとクライドだったが、1934年5月23日、ルイジアナ州ビヤンヴィル郡アーケディアの寂れた道路を1934年式フォードV8に乗って走行中、行方の情報を掴んで待ち伏せしていたテキサス・レンジャー4名およびルイジアナ州警察の警官2名から、短機関銃で150発以上もの連射を受けた。ボニーとクライドは車で逃げ去ろうとしたが、車体を貫通してきた80発余りの銃弾を浴びて死亡(車に命中した弾丸の数については諸説ある)。車内からは軍の兵器庫からの盗品であるブローニングM1918自動小銃をはじめ、ショットガン、大型拳銃など、殺傷力の高い強力な銃器類が多数発見された。

二人の遺体はダラスにそれぞれ別に埋葬されている。

銃撃で蜂の巣にされたフォードV8と、クライドが最後に着ていたシャツは、ネヴァダ州プリムにある観光施設プリム・ヴァレー・リゾートで2009年から公開展示されている。

支持者達と批判者

残虐な行為を繰り返してきたボニーとクライドだったが、意外にも彼等を支持した者は多かった。犯罪者となった彼等を家族は咎めず(ただし映画では母親の態度が事実とは逆に描かれており、またクライドの妹の証言によると母はクライドを咎めはしなかったものの犯罪行為からは手を引いて欲しいと思っていたという)、逃亡中に匿った者も起訴されただけで「23人」に上ったという。そんな背景もあって、ボニーとクライドは事あるごとに家族の居るダラスに戻ってきていた。また、大衆の間でも金持ちに狙いを定め、貧乏人からは巻き上げない「義賊的な姿勢」が共感を得た。

もちろんアメリカ人が皆、彼等を支持していたわけではなく、時の連邦捜査局長官ジョン・エドガー・フーヴァーは「アメリカの狂犬たち」と表現している。

文化への影響

ボニーとクライドは波乱に富んだ人生を送ったため、映画をはじめ、様々なジャンルの作品において、題材として取り上げられることが多い。多くの作品では彼らの行為や事実をそのまま伝えるというよりも、その波乱に満ちた人生とふたりの恋にスポットが当てられており、どちらかというと美化されたものが多い。また、登場キャラクター(特に2人組)の名前に流用されることもある。

以下、ボニーとクライドを主題としたフィクション作品を挙げる。

映画

  • 『俺たちに明日はない』(1967年) – ボニー(フェイ・ダナウェイ)とクライド(ウォーレン・ベイティ)の出会いから死までが描かれているアーサー・ペン監督の代表作。
  • 『暗黒街の弾痕』(1937年)- フリッツ・ラング監督。ボニー(シルヴィア・シドニー)と前科者エディ(ヘンリー・フォンダ)に纏わる物語。
  • 『拳銃魔』(Gun Crazy, 1949年) – バートとアニーという恋仲の追いはぎ2人組が主人公。バートの幼馴染クライドが物語に関わってくる。
  • 『鉛の弾丸(たま)をぶちかませ』(The Bonnie Parker Story, 1958年)- ボニーを主人公にしたアクション映画。

舞台

  • 『凍てついた明日 ~ボニー&クライド~』
    • 宝塚歌劇団雪組選抜メンバーにより、1998年に宝塚バウホールにて初演。
    • 映画『俺たちに明日はない』の翻案で、脚本・演出は荻田浩一が担当。
    • クライド役を香寿たつき、ボニー役を月影瞳が務めた。
  • 『凍てついた明日-ボニー&クライドとの邂逅(かいこう)-』
    • 宝塚歌劇団雪組選抜メンバーにより、2008年に宝塚バウホールにて再演。
    • 初演に引き続き、荻田が脚本・演出を担当。題名の副題を変更した。
    • クライド役を凰稀かなめ、ボニー役を大月さゆ・愛原実花がダブルキャストで務めた。
  • 『Musical BONNIE&CLYDE』
    • 2012年に青山劇場と新歌舞伎座で上演。
    • 作曲はフランク・ワイルドホーン、作詞はドン・ブラック、上演台本・演出は田尾下哲、訳詞は小林香が担当。
    • ボニー役を濱田めぐみ、クライド役を田代万里生が務める。

音楽:洋楽

  • ジョージィ・フェイムのシングル「ボニーとクライドのバラード The Ballad of Bonnie and Clyde」(1967年)- 映画「俺たちに明日はない」をモチーフに作られた全英1位ヒット曲。
  • セルジュ・ゲンスブールとブリジット・バルドーのデュエット曲「Bonnie and Clyde」(1968年) – 2人について歌われている。ゲンスブールとバルドーは、同名のアルバムも発表した。
  • マール・ハガード&ストレンジャーズ「レジェンド・オブ・ボニー・アンド・クライド」(1968)。マール・ハガードはカントリー歌手。
  • メル・トーメ「ア・デイ・イン・ザ・ライフ・オブ・ボニー・アンド・クライド」(1968)
  • スティーヴ・ミラー・バンド「テイク・ザ・マネー・アンド・ラン」(1976) – 歌詞に登場するビリー・ジョーとボビー・スーは2人をモデルにしている。
  • Yo-Yo feat. アイス・キューブ「The Bonnie and Clyde Theme」(1993年)、「Bonnie and Clyde II」(1996年)
  • Die Totten Hosen 「Bonnie and Clyde」(1996年)。ドイツのパンク・バンド
  • ビヨンセ feat. Jay-Z – 「’03 Bonnie & Clyde」(2002年) で、曲もそうだが、PVも2人の逃亡劇を描いている。
  • 「I’m the One」 ft. ジャスティン・ビーヴァー, Quavo, Chance the Rapper, Lil Wayneの歌詞で2人の名前が出てくる
  • アヴィーチ:Aviciiの曲Without You(2017年)の歌詞にBonnie and Clydeが出てくる
  • Luna (1990s American band)のアルバムPenthouse (album)に収録されているBonnie and Clyde (Serge Gainsbourg and Brigitte Bardot song)の歌詞に頻繁に登場する。

音楽:邦楽

  • シーナ&ザ・ロケッツのアルバム『SHEENA & THE ROKKETS #1 』(1979年) の収録曲「ボニーとクライドのバラード」
  • 大滝裕子がシングル「A BOY」(1979年)の歌詞に”ボニーandクライド”を複数回使用している。
  • BOOWYのROUGE OF GRAY(1986年) – 歌詞に”ボニー”、”クライド”の名前が頻出する。
  • 真島昌利の曲「こんなもんじゃない」(1992年) – 歌詞に「今夜ボニーとクライドが僕の部屋へやってくる」とある。
  • UP-BEATの曲「ボニー&クライド気取って」(1993年) – 2人の名前がタイトルと歌詞に使われており、歌詞にも、この実在した2人に纏わるエピソードが散りばめられている。
  • CASCADEの曲「なりきりボニー&クライド」(1996年) – 同バンドのデビューシングルである。
  • 宇多田ヒカルのシングルc/wである「B&C」(1999年)はボニー&クライドの意であり、歌詞にも登場する。
  • KinKi Kidsの曲「Bonnie Butterfly」(2003年) – 歌詞に「BonnieとClydeのように」とある。
  • THE PREDATORSのアルバム「Hunting!!!!」(2005年)の収録曲「爆音ドロップ」- 歌詞に「クライドを誘ってるボニー同然」とある。
  • メリーのシングル「閉ざされた楽園」(2008年) – 歌詞が2人をモチーフにして書かれており、2人の名前も出てくる。
  • 毛皮のマリーズの曲「ボニーとクライドは今夜も夢中」(2010年)
  • Galileo Galileiの曲「ボニーとクライド」(2015年)
  • REOLのアルバムΣ (REOLのアルバム)(2016年)に収録されている「ちるちる」に「ボニークライドばりの危険過ぎる罠」という歌詞が登場する。

漫画

  • 『俺と悪魔のブルーズ』に、ボニーとクライドが登場。クライドはボニーと強盗を始める前に主人公RJと出会い行動を共にするが、フィクションである。

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