Branch Davidians : ブランチ・ダビディアン

The Branch Davidians (also known as The Branch) are a religious group that originated in 1955 from a schism among the Shepherd’s Rod/Davidians. The Branch group was initially led by Benjamin Roden. Branch Davidians are most associated with the Waco siege of 1993, which involved David Koresh.

The doctrinal beliefs of the Branch Davidians differ on teachings such as the Holy Spirit and his nature, and the feast days and their requirements. Both groups have disputed the relevance of the other’s spiritual authority based on the proceedings following Victor Houteff’s death. From its inception in 1930, the Davidians/Shepherd’s Rod group believed themselves to be living in a time when Biblical prophecies of a final divine judgment were coming to pass as a prelude to Christ’s Second Coming.

In the late 1980s, Koresh and his followers abandoned many Branch Davidian teachings. Koresh became the group’s self-proclaimed final prophet. “Koreshians” were the majority resulting from the schism among the Branch Davidians, but some of the Branch Davidians did not join Koresh’s group and instead gathered around George Roden or became independent. Following a series of violent shootouts between Roden’s and Koresh’s group, the Mount Carmel compound was eventually taken over by the “Koreshians”. In 1993, the ATF and Texas Army National Guard raided one of the properties belonging to a new religious movement centered around David Koresh that evolved from the Branch Davidians for suspected weapons violations. This raid resulted in a two-hour firefight in which four ATF agents were killed; this was followed by a standoff with the FBI that lasted for 51 days. The siege ended with a raid that resulted in the deaths of Koresh and 82 of his followers.

ブランチ・ダビディアンは、アメリカ合衆国を拠点とするセブンスデー・アドベンチストの分派の「ダビデ派セブンスデー・アドベンチスト教会」(通称:ダビデアンズ)から、1955年に分裂・分派したプロテスタント系のセクトである。

概要

1934年にヴィクター・ホウテフによってヨハネの黙示録による終末思想を思想体系とするセクト、ダビデ派セブンスデー・アドベンチスト教会が結成された。1955年にホウテフが死去し妻のフローレスが指導者となり、1959年に終末が到来すると予言した。しかし、予言が外れたために教団は分裂し、ベン・ローデンが次の指導者となって教団名をブランチ・ダビディアンに改めた。

1978年にローデンが死去し、妻のロイスが後継となるが、1986年にはロイスも死去する。その後、ロイスの息子と、特別な予言力を持つと自称するバーノン・ハウエルが後継者争いを起こし、1987年には両派閥による銃撃戦に発展する。この事件はメディアに大きく取り上げられ、ブランチ・ダビディアンの名を人々に意識させた。

1990年にハウエルが新教祖に就任したのをきっかけに選民思想を説き、ブランチ・ダビディアンの信者達だけが最終戦争に生き残ることを神に認められた民と位置づけ、カリスマ的な独自の布教で信者を獲得した。ハウエル自身はデビッド・コレシュと改名。デビッドはイスラエル王国のダビデ王にちなみ、コレシュはバビロン捕囚のユダヤ人を解放したペルシャ皇帝キュロス2世にちなむ。教団は最終戦争に向け武装化を強力に推進し、大量の銃器を不正に獲得、司法当局やマスメディアに注目されるに至る。

1993年2月28日、テキサス州ウェーコの教団本部(マウント・カルメル・センター)に対し強制捜査が行われるが、ダビディアンはバビロニア軍隊に攻撃されるであろうとの予言を信じていたため、連邦捜査官をバビロニア軍隊と思い込んだ信者の応酬はすさまじく、ATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)の捜査官4名、ダビディアン側6名の死者を出す。さらにはATFから捜査情報が事前に漏れていたため、テレビ局のカメラの前で銃撃戦の様子が放映され、世界中に衝撃を与えた。

この後、捜査はFBIが引継ぎ、全米国民が見守る中、51日間の膠着が続いた。ダビディアン側は武器弾薬に加え、1年分以上の食料を備蓄し籠城した。同年4月19日、司法長官ジャネット・リノは強行突入を決行。19台におよぶ戦車、装甲車、武装ヘリコプター、催涙弾などで突入。ところが、信者は意に反し投降しなかった。その後、突然建物から出火、教団本部は炎に包まれ、ほとんどの信者は焼死した。コレシュを含め81名の死者を出し、内子供が25名、生存者は9名であった。

ブランチ・ダビディアン本部爆発炎上事件は、発生直後にはブランチ・ダビディアンを危険なカルト集団として批難する声が大多数だったが、時が経つにつれてアメリカ南部では南部特有のメンタリティから事件を悲劇として捉え、連邦政府を批難する声が増えていった。1995年には北テキサス憲法民兵によってウェーコに信者を悼む記念碑が建てられている。 本部を失ったものの、教団自体は現在もなお存続しており活動を続けていると言う。

逮捕にあたっての問題点

FBIと銃撃戦の末、コレシュは80人の信者を道連れに自殺。信者のほとんどは焼死と見られるが、出火原因が問題になっている。

出火は「聖なる火」で戦車を破壊しようとしたという説が言われていたが、突入した装甲車がランタンやプロパンガスのボンベを破裂させた説や、現在は可燃性の催涙ガスにFBI側の銃火が飛んで引火したという説も有力である(自動小銃らしき発砲の直後に発火した映像が残っている)。

FBIは1発も実弾は発射していないと主張しているが、マスコミが赤外線カメラでヘリコプターから撮影した映像には銃弾の発射の模様が映っている。また、信者が脱出しようとしていたところに少なくとも2回の実弾攻撃を加えたという証言がある。

逮捕状の請求や武器の使用に法律違反があった。信者の1人は昼食を食べていたところを、壁を貫通した砲弾にあたって死亡している。

また、FBIは4月14日にコレシュが送ってきた降伏の手紙を司法長官に渡さなかった。内容は「刑務所で信者たちに布教ができるように計らえば投降する」というもの。

一連の教団施設攻撃は、適正手続き(due process)という点から政府の対処に問題ありとして批判を浴びている。