Deism : 理神論

Deism (derived from Latin “deus” meaning “god”) is a philosophical belief that posits that God exists and is ultimately responsible for the creation of the universe, but does not interfere directly with the created world. Equivalently, Deism can also be defined as the view which posits God’s existence as the cause of all things, and admits its perfection (and usually the existence of natural law and Providence) but rejects divine revelation or direct intervention of God in the universe by miracles. It also rejects revelation as a source of religious knowledge and asserts that reason and observation of the natural world are sufficient to determine the existence of a single creator or absolute principle of the universe.

Deism gained prominence among intellectuals during the Age of Enlightenment, especially in Britain, France, Germany, and the United States. Typically, these had been raised as Christians and believed in one God, but they had become disenchanted with organized religion and orthodox teachings such as the Trinity, Biblical inerrancy, and the supernatural interpretation of events, such as miracles. Included in those influenced by its ideas were leaders of the American and French Revolutions.

Today, deism is considered to exist in the classical and modern forms, where the classical view takes what is called a “cold” approach by asserting the non-intervention of deity in the natural behavior of the created universe, while the modern deist formulation can be either “warm” (citing an involved deity) or “cold” (citing an uninvolved deity). These lead to many subdivisions of modern deism, which serves as an overall category of belief.

理神論は、一般に創造者としての神は認めるが、神を人格的存在とは認めず啓示を否定する哲学・神学説。

神の活動性は宇宙の創造に限られ、それ以後の宇宙は自己発展する力を持つとされる。人間理性の存在をその説の前提とし、奇跡・予言などによる神の介入はあり得ないとして排斥される。18世紀イギリスで始まり、フランス・ドイツの啓蒙思想家に受け継がれた。

起源

16世紀のソッツィーニ派によって、すでに宗教上の意見の相違を迫害によって解決することが罪であるという考えが提出され、イギリスではその見解はユニテリアンと呼ばれる人々によって擁護された。ユニテリアンは1840年代になるまで市民権を得られなかったとはいえ、その他のプロテスタントでも信仰の基礎を教会の権威にではなく、論証の上に築くことを目指す。そのさい神学者たちが根拠としたのは、聖書とならんで理性であった。

1624年チャーベリーのハーバート卿は『真理について』を公刊して、自然宗教の5つの基本命題をあげた。それは(1)神の存在、(2)神を礼拝する義務、(3)経験と徳行の重要性、(4)悔悟することの正しさ、(5)来世における恩寵と堕罪の存在を信じること、などである。

50年後にスピノザが『神学政治論』において、(1)神の存在、(2)単一性、(3)遍在性、(4)至高性、などの箇条を列挙して、「神は博愛心と正義心によって崇拝されなければならず、神に従うものは救われ従わないものは滅びるが、悔い改めるものの罪は必ず許されるであろう」ことを主張した。

ハーバート卿とスピノザの宗教は、とくにキリスト教だけに当てはまる条件ではないところに問題があると、神学者たちは考えた。では旧来のキリスト信仰とこの新しい普遍宗教は矛盾がないのだろうか、またキリスト教の唯一の基礎である聖書の記述は、普遍宗教の条件から見て真理を現しているといえるのか。

スピノザは『神学政治論』で、聖書それ自体も同じように歴史的批判にさらされなければならないことを提唱し、理神論への道を開いた。しかしスピノザは生前は無神論者であるという人身攻撃を受け、イギリスではいわゆる「理神論論争」が始まった。

理神論論争

1695年にジョン・ロックが『キリスト教の合理性』で、理性の権威と聖書の権威が両立することを証明しようと努めたが、それでも「救済の条件を不当に低めて、異端者が救われるようにした」というとがめを受けた。ロックが知性の力で支持できない教説の地位を下げたことをさらに進め、1696年にジョン・トーランドが『キリスト教は秘蹟的ならず』を著し、キリスト教の本質は道徳の掟に他ならず、後世の教会が設けた教義はキリスト教の信条を独断的に改ざんしたものである、と主張した。キリスト教から秘蹟を追放しようとする彼の企ては、人間の認識というものが神に関する知識におよぶものなのか、それともロックやトーランドの反対者が言うように「神の存在とは理性を超えるもの」なのかという問題を提起し、ヒュームの懐疑主義により「神が存在するかどうかは、人間には認識できない」という形で一時は解決する。

理神論論争における論敵同士は、自然法則を再構成する能力を理性に認める点で一致している。理神論者の多くは、聖書が神に由来するものであることを認めた。つまり立派なキリスト教徒でなおかつ理神論者であることは可能であった。これらの似たもの同士で行われた論争は1750年より以前に終熄し、『政治的正義』の著者で無政府主義者のゴドウィンは「騒ぎから50年たった今では、過去にまるで論争がなかったのと同じである」と言うことができた。

フランスとドイツ

イギリス理神論をフランスで嗣いだのはヴォルテールである。イギリスでは論争になるだけの見解でも、カトリック教会が権威をもっているフランスでは異端邪説となった。ヴォルテールは「神がもし存在しないなら、創り出す必要がある」と言った奇妙なキリスト教徒であった。彼はキリスト教にまつわるさまざまな伝説・聖物を笑いものとし、無神論の手前まで進んだ。コンディヤック、エルヴェシウス、ドルバック、ラ・メトリなどはルネ・デカルトの機械論を受け継いでおり、理神論者とほとんど区別がつかない。彼らは人間を機械の一種と見なしているのでそれを最初に創造した機械工(神)を想定しないわけに行かないからだ。

ルソーが『エミール』第4巻で披露する有神論は、理性ではなく感情に基礎をおいている。その自然宗教では特定の人間に示されるような啓示は必要ない、とされている。ルソーの「有神論」はロベスピエールに受け継がれ、フランス革命が過激化した時期に「理性の崇拝」に反対して挙行された「最高存在の祭典」にあらわれている。

ドイツにおける理神論の代表者はレッシングである。ただレッシングはキリスト教について固定した立場をとらず、「論証によって信仰を強制しよう」とする理神論者についても反対していた。戯曲『賢人ナータン』には、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のうち、どの宗教を選ぶかよりも「人間であることで十分だ」というテーマが扱われた。

カントは『純粋理性批判』で理神論者が使った神の存在証明すべてが無効であることを証明したが、『実践理性批判』では神は理性によって認識されるものではなく、意志によって要請される存在として考えられ、ヘーゲルはカントのこのような神の論証を「矛盾の巣」と呼んだ。理神論はカントの手によって一度は殺されて、彼自身の手で復活させられたわけである。

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