Mark Twain : マーク・トウェイン

Samuel Langhorne Clemens (November 30, 1835 – April 21, 1910), better known by his pen name Mark Twain, was an American writer, humorist, entrepreneur, publisher, and lecturer. Among his novels are The Adventures of Tom Sawyer (1875) and its sequel, the Adventures of Huckleberry Finn (1885), the latter often called “The Great American Novel”.
Twain was raised in Hannibal, Missouri, which later provided the setting for Tom Sawyer and Huckleberry Finn. He served an apprenticeship with a printer and then worked as a typesetter, contributing articles to the newspaper of his older brother Orion Clemens. He later became a riverboat pilot on the Mississippi River before heading west to join Orion in Nevada. He referred humorously to his lack of success at mining, turning to journalism for the Virginia City Territorial Enterprise. His humorous story, “The Celebrated Jumping Frog of Calaveras County”, was published in 1865, based on a story that he heard at Angels Hotel in Angels Camp, California where he had spent some time as a miner. The short story brought international attention and was even translated into French. His wit and satire, in prose and in speech, earned praise from critics and peers, and he was a friend to presidents, artists, industrialists, and European royalty.
Twain earned a great deal of money from his writings and lectures, but he invested in ventures that lost most of it—notably the Paige Compositor, a mechanical typesetter that failed because of its complexity and imprecision. He filed for bankruptcy in the wake of these financial setbacks, but he eventually overcame his financial troubles with the help of Henry Huttleston Rogers. He chose to pay all his pre-bankruptcy creditors in full, even after he had no legal responsibility to do so.
Twain was born shortly after an appearance of Halley’s Comet, and he predicted that he would “go out with it” as well; he died the day after the comet returned. He was lauded as the “greatest humorist this country has produced”, and William Faulkner called him “the father of American literature”.

マーク・トウェイン(1835年11月30日 – 1910年4月21日)、本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズは、アメリカ合衆国の作家、小説家。ミズーリ州出身。『トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られ、数多くの小説やエッセーを発表、世界中で講演活動を行うなど、当時最も人気のある著名人であった。

ウィリアム・フォークナーは、トウェインが「最初の真のアメリカ人作家であり、我々の全ては彼の相続人である」と記した。アーネスト・ヘミングウェイは『アフリカの緑の丘』において、「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する」と述べた。

ペンネーム

印刷工時代の新聞投稿文のペンネームは「トマス・ジェファソン・スノッドグラス」。

「マーク・トウェイン」は、川を蒸気船が航行する際の測深手の水先人への合図“by the mark, twain”(2ファゾム:約3.6m。日本語では「水深二尋」と訳されている)から採った(これは蒸気船が座礁せず安全に通航できる限界の浅さ)。1863年2月3日、ネバダ州バージニア市のTerritorial Enterprise紙から使用している。

来歴

ミズーリ州フロリダで判事の父ジョン・クレメンズ(John Marshall Clemens)と母ジェーン・クレメンズ(Jane Lampton Clemens)との間に、5人兄弟の3番目として1835年11月30日に生まれた。この年ハレー彗星が観測されたが、トウェインは後年『自分はハレー彗星とともに地球にやってきたので、 “go out with it”, ハレー彗星と共に去っていくだろう』と周囲の人間に吹聴していた。その通りにハレー彗星が現れた日に亡くなった。クレメンズ家は、17世紀半ばにアメリカ合衆国バージニア州に移民した旧家であったが、破産し経済的にめぐまれなかった。家伝によると先祖はチャールズ1世の判事グラム伯爵だという。また、彼は色弱であった。

  • 長男:オーリオン (Orion Clemens, 1825年 – 1897年)
  • 次男:プリザント(Pleasant Clemens, 1828年 – 1829年)
  • 長女:マーガレット(Margaret Clemens, 1830年 – 1839年)
  • 三男:ベンジャミン(Benjamin Clemens, 1832年 – 1842年)
  • 四男:サミュエル
  • 五男:ヘンリー(Henry Clemens, 1838年 – 1858年)

彼が4歳の時、一家は出生地から50km程離れたミシシッピ川沿いの町、ミズーリ州ハンニバルに転居した。ここは当時舟運で栄え、ニューオーリンズやセントルイスからは人が日夜途絶えることがなかった。後にこの町とそこの住人が、トウェインの最も有名な作品(『トム・ソーヤーの冒険』、『ハックルベリー・フィンの冒険』など)に現れた人物と場所のモデルとなった。

クレメンズ家は、テネシー州にいた頃から奴隷を所有していたが、1820年のミズーリ妥協のために、奴隷を彼らの新居に伴うことができた。トウェインにとって女中のジェニーは第二の母親であり、奴隷の子供たちは遊び友達であった。ハックルベリー・フィンと逃亡奴隷のジムの描写は、こうした人間関係に由来している。

父は多くの負債を残して1847年に死去した。長男のオーリオンはすぐに新聞の出版を始め、サミュエルはその手伝いに2年間にわたって従事している。オーリオンの新聞で最も活発な論争の的になった記事のいくつかは、弟のサミュエルの手によるものであるが、オーリオンが町を離れているときに書かれたものであった。

サミュエルは蒸気船で働いた後、17歳の時に印刷工として働くため、故郷を後にセントルイスへ移った。1857年に蒸気船の水先人見習、1858年には水先人の資格を取得した。1858年6月、セントルイスとニューオーリンズを35日で往復する蒸気船ペンシルヴァニア号がボイラー爆発の事故を起こした際、この船に乗船する予定であったマーク・トゥエインは急遽他の船での仕事に就いており助かったが、この事故に事務員として乗船していた弟のヘンリーが巻き込まれ死亡した。

南北戦争が始まると舟運の激減のために水先人を失業し、アメリカ連合国軍に志願。少尉として従軍するも、『マーク・トウェイン自伝』(勝浦吉雄訳、筑摩書房)によれば、疲労による戦闘不能で除隊(1940年1月下院では脱走とされる)。1861年には、兄のオーリオンがネバダ準州(現・ネバダ州)の政務長官に任命されたため、それについてネバダに移る。その後さらにサンフランシスコに移り、新聞記者としていくつかの新聞社で働いている。この時期特派員としてハワイにも滞在しており、新聞記事を集めた『ハワイ通信』(1866年)を出している。

1869年には、新聞に長期連載したヨーロッパ旅行体験記が、”The Innocents Abroad”(『無邪気な外遊記』、『地中海遊覧記』)で出版され評判となる。以後も長編旅行記をいくつか出版した。1870年、オリヴィア・L・クレメンズと結婚。五男一女を設けるが、全員両親に先立っている。ハートフォード (コネチカット州)に居住し多くの作品を発表するようになった。1873年に出版した『金ぴか時代』は彼の出世作となるが、彼の名を不動にしたのは1876年に出版された『トム・ソーヤーの冒険』である。これで大ベストセラー作家となったトウェインは非常に豊かな資産家となるが、一方で浪費や新発明への見境のない投資、株の投機などで次第にその富は減少していった。ただし、この時期においても1885年の『ハックルベリー・フィンの冒険』などのようにベストセラーをコンスタントに発表しており、人気が衰えたわけでは決してなかった。

1894年には投資の失敗などにより、トウェインは破産する。このとき、スタンダード・オイルの副社長だったヘンリー・H・ロジャーズ(『あしながおじさん』のモデルと言われている)の助力を得て、資産の再編成を行った。この借金返済の一環として、1895年には世界中で講演活動を行い、1897年に出版した『赤道に沿って』の印税も全額返済に充てることで、トウェインは借金を完済し再び資産家となった。1897年には新聞に「トウェインが死んだ」という誤報を流され、「私が死んだという報道は誇張である」(The report of my death was an exaggeration.)と発表した。1898年6月15日にはアメリカ反帝国主義連盟のメンバーとなり、合衆国のフィリピン併合に反対した。1906年にはアメリカを訪れたショーレム・アレイヘムと会っている。1910年、死去する。この年はハレー彗星が75年ぶりに地球に到来した年であり、本人が予見した通り、ハレー彗星と共にこの世を去っていった。

なお『あしながおじさん』で知られる作家ジーン・ウェブスターは、トウェインの姪の娘に当たる。

作品一覧

  • 全作品の訳書は、『マーク・トウェイン コレクション』(全26冊、彩流社)。

小説

  • 『金ぴか時代』(チャールズ・ウォーナーとの共著), 1873年
  • 『トム・ソーヤーの冒険』“The Adventures of Tom Sawyer”, 1876年
  • 『王子と乞食』“The Prince and the Pauper”, 1881年
  • 『ハックルベリー・フィンの冒険』“Adventures of Huckleberry Finn”, 1885年
  • 『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』“A Connecticut Yankee in King Arthur’s Court”, 1889年
  • 『生死如何』“Is He Living or Is He Dead”, 1893年
    • 短編。山県五十雄訳で出版年と同年に「少年文庫」に掲載。
      • これを有島武郎が翻案し戯曲『ドモ又の死』を1922年に発表。
  • 『ノータリン・ウィルソンの悲劇』“The tragedy of Pudd’nhead Wilson”, 1894年
    • 中篇で、野崎孝訳が中央公論社「世界の文学53 イギリス名作集 アメリカ名作集」に所収。
  • 『ジャンヌ・ダルクについての個人的回想』“Personal Recollections of Joan of Arc”, 1895年
    • ジャンヌ・ダルクの幼馴染にして、小姓兼秘書として仲間とともにフランス軍に従軍した男ルイス・コントが、シャルル7世によるやり直し裁判において、生き証人として彼女の思い出を語る形式で、「パラディン」と皮肉をこめて呼ばれていた臆病者が、ジャンヌに感化され勇敢に戦死するエピソードなど、ユーモアを交えながら悲劇的な結末を描く。
      1895年月刊誌≪ハーパーズ≫4月号に匿名で連載開始、翌1896年4月号まで掲載後匿名で出版された。作中のジャンヌのモデルは、1896年に24歳の若さで死去した長女であるとされる。訳書は「マーク・トウェインのジャンヌ・ダルク」(大久保博訳、角川書店)。
  • 『トム・ソーヤーの探偵』“Tom Sawyer, Detective”, 1896年
  • 『ハドリバーグを堕落させた男』“The Man That Corrupted Hadleyburg”, 1900年
  • 『アダムとイヴの日記』“Extracts from Adam’s Diary”, 1904年
  • 『不思議な少年』“The Mysterious Stranger”, 1916年

エッセイ・旅行記

  • 『ハワイ通信』 “Letters from Hawaii”, 1866年
  • 『地中海遊覧記』“The Innocents Abroad”, 1869年
  • 『西部放浪記』“Roughing It”, 1872年
  • 『ミシシッピの生活』“Life on the Mississippi”, 1874年
  • 『ヨーロッパ放浪記』“A Tramp Abroad”, 1878年
  • 『アメリカの爵位権主張者』“The American Claimant”, 1892年
  • 『赤道に沿って』“Following the Equator”, 1897年
  • 『人間とは何か?』“What is Man?”, 1906年
  • 『シェイクスピアは死んでいるか?』, 1906年
    パイロット時代の船長がウィリアム・シェイクスピア=フランシス・ベーコン説であったことに影響され、シェイクスピア反ストラトフォード説になった。
  • 『リンチ合衆国』“The United States of Lyncherdom”, 1923年

戯曲

  • 『やつは死んじまった?』“Is He Dead”, 1898年 辻本庸子訳にて「三田文学 No.103 2010年 秋季号」に収録。
    • 上記の小説『生死如何』の戯曲化。

マーク・トウェインが登場するフィクション作品

  • 『マーク・トゥエインの大冒険/トム・ソーヤーとハックルベリーの不思議な旅』(別名:アドベンチャー・オブ・マークトゥエイン 1985年) – ウィル・ヴィントン監督によるクレイ・アニメーション映画。トウェインが、トム・ソーヤーとハックルベリー・フィンとともに、気球に乗って天国を目指す。映画中のトウェインのセリフはすべて、生前の彼の発言もしくは作品中の言葉から取られている。
  • 『新スタートレック 第125話タイム・スリップ・エイリアン』 – 米テレビドラマ。時代は24世紀。宇宙船エンタープライズ号の艦長ジャン=リュック・ピカードをはじめとした個性あふれるキャラクター達の未知の世界への冒険、探求を描いた作品。第125話「タイム・スリップ・エイリアン」では、ピカード達が19世紀のアメリカを舞台に怪現象の謎に挑む。その中で、クレメンスの名前で登場するマーク・トウェインと出会う。
  • 『リバーワールド』アメリカの作家フィリップ・ホセ・ファーマーのSF小説シリーズ。地球での死者が全員蘇っている謎の世界「リバーワールド」に、本名の「サミュエル・クレメンズ」名で登場。河の源にある「霧の塔」を目指して河川蒸気船「貸しません号」を率いて旅をする。
  • 『愛の若草物語』TVアニメ。アニメオリジナルのエピソードとしてマーク・トウェインのデビュー作とも言える短編小説『ジム・スマイリーと彼のだいじな跳び蛙』に言及する話がある。
  • 『南軍騎兵大尉ジョン・カーター』吉岡平による小説。エドガー・ライス・バローズのSF冒険小説『火星のプリンセス』の主人公ジョン・カーターの同時代人、同じ南軍兵士としてサミュエル・クレメンズが登場する。
  • 『カムイの剣』矢野徹作の冒険時代劇小説、キャプテンキッドの財宝を探し、酒場サンタ・カタリナに現れた次郎に興味を持ち、示唆を与える。続編では国際的な政商となった次郎と再会する。

その他

  • 弟のヘンリーが爆発事故で死ぬ数週間前、ヘンリーの死体が柩に横たわる夢を見ていた。
  • 死亡から7年後の1917年、エミリー・グラント・ハッチングズという女性がマーク・トウェインの霊と交信し『ジャップ・ヘロン』という氏の新作小説を口述筆記したとして本を出版した。
  • 世界初の実用タイプライタであるショールズ・アンド・グリデン・タイプライターを最初に購入した1人であり、これを “curiosity breeding little joker” と名付けた。

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