NATO : 北大西洋条約機構

The North Atlantic Treaty Organization (NATO), also called the North Atlantic Alliance, is an intergovernmental military alliance between several North American and European states based on the North Atlantic Treaty that was signed on 4 April 1949.
NATO constitutes a system of collective defense whereby its member states agree to mutual defense in response to an attack by any external party. Three NATO members (the United States, France and the United Kingdom) are permanent members of the United Nations Security Council with the power to veto and are officially nuclear-weapon states. NATO Headquarters are located in Haren, Brussels, Belgium, while the headquarters of Allied Command Operations is near Mons, Belgium.
NATO is an alliance that consists of 29 independent member countries across North America and Europe. An additional 21 countries participate in NATO’s Partnership for Peace program, with 15 other countries involved in institutionalized dialogue programs. The combined military spending of all NATO members constitutes over 70% of the global total. Members’ defense spending is supposed to amount to at least 2% of GDP by 2024.
NATO was little more than a political association until the Korean War galvanized the organization’s member states, and an integrated military structure was built up under the direction of two US Supreme Commanders. The course of the Cold War led to a rivalry with nations of the Warsaw Pact, that formed in 1955. Doubts over the strength of the relationship between the European states and the United States ebbed and flowed, along with doubts over the credibility of the NATO defense against a prospective Soviet invasion—doubts that led to the development of the independent French nuclear deterrent and the withdrawal of France from NATO’s military structure in 1966 for 30 years. After the fall of the Berlin Wall in Germany in 1989, the organization became involved in the breakup of Yugoslavia, and conducted its first military interventions in Bosnia from 1992 to 1995 and later Yugoslavia in 1999. Politically, the organization sought better relations with former Warsaw Pact countries, several of which joined the alliance in 1999 and 2004.
Article 5 of the North Atlantic treaty, requiring member states to come to the aid of any member state subject to an armed attack, was invoked for the first and only time after the September 11 attacks, after which troops were deployed to Afghanistan under the NATO-led International Security Assistance Force (ISAF). The organization has operated a range of additional roles since then, including sending trainers to Iraq, assisting in counter-piracy operations and in 2011 enforcing a no-fly zone over Libya in accordance with U.N. Security Council Resolution 1973. The less potent Article 4, which merely invokes consultation among NATO members, has been invoked five times: by Turkey in 2003 over the Iraq War; twice in 2012 by Turkey over the Syrian Civil War, after the downing of an unarmed Turkish F-4 reconnaissance jet, and after a mortar was fired at Turkey from Syria; in 2014 by Poland, following the Russian intervention in Crimea; and again by Turkey in 2015 after threats by Islamic State of Iraq and the Levant to its territorial integrity.
Since its founding, the admission of new member states has increased the alliance from the original 12 countries to 29. The most recent member state to be added to NATO is Montenegro on 5 June 2017. NATO currently recognizes Bosnia and Herzegovina, Georgia, and Macedonia as aspiring members.

北大西洋条約機構は、北大西洋条約に基づき、アメリカ合衆国を中心とした北アメリカ(=アメリカとカナダ)およびヨーロッパ諸国によって結成された軍事同盟である。前身はブリュッセル条約 (1948年)。

略称は頭字語が用いられ、英語圏では、North Atlantic Treaty Organization を略した NATO(ネイトー)と呼ばれ、日本やドイツ語圏では NATO(ナトー)、フランス語圏・スペイン語圏・ポルトガル語圏等では OTAN(オタン)と呼ばれる。

1949年から1954年まで、パウル・ファン・ゼーラントがベルギー政府とNATO双方の経済顧問を務めた。

設立の経緯

 第二次世界大戦が終わり、東欧を影響圏に置いた共産主義のソビエト連邦との冷戦が激しさを増す中で、イギリスやフランスが主体となり、1949年4月4日締結の北大西洋条約により誕生した。結成当初は、ソ連を中心とする共産圏(東側諸国)に対抗するための西側陣営の多国間軍事同盟であり、「アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む」(=反共主義と封じ込め)というヘイスティングス・イスメイ初代事務総長の言葉が象徴するように、ヨーロッパ諸国を長年にわたって悩ませたドイツの問題に対するひとつの回答でもあった。加盟国は集団的安全保障体制構築に加えて、域内いずれかの国が攻撃された場合、共同で応戦・参戦する集団的自衛権発動の義務を負っている。

当初はアメリカなどの一部でドイツの徹底した脱工業化・非ナチ化が構想されていた(モーゲンソー・プラン)。また連合軍占領下ではドイツは武装解除され、小規模な国境警備隊や機雷掃海部隊以外の国軍を持つことは許されず、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4カ国が治安に責任を持っていた。しかし冷戦の開始とともに西ドイツ経済の復興が求められ、主権回復後の1950年には西ドイツの再軍備検討も解禁された。西ドイツは新たな「ドイツ連邦軍」の創設とNATOへの加盟の準備を始めたが、フランスなどはドイツ再軍備とNATO加盟に反対し、欧州防衛共同体構想で対抗した。この構想は1952年に西ドイツを含む西欧各国間で調印されたがド・ゴール主義者たちの反対によりフランス議会で否決され、批准に至らなかった。この結果、フランスもドイツ再軍備を認め、ドイツ連邦軍が1955年11月12日に誕生し、西ドイツはNATOに加盟した。一方、この事態を受けてソ連を中心とする東側8か国はワルシャワ条約を締結してワルシャワ条約機構を発足させ、ヨーロッパは2つの軍事同盟によって完全に分割されることとなった。

冷戦

第二次世界大戦から冷戦を通じて、西欧諸国はNATOの枠組みによってアメリカの強い影響下に置かれることとなったが、それは西欧諸国の望んだことでもあった。二度の世界大戦による甚大な被害と帝国主義の崩壊にともなう植民地経済の喪失により、それぞれの西欧諸国は大きく弱体化した。そのため各国は、アメリカの強大な軍事力と核の抑止力による実質的な庇護のもと、安定した経済成長を遂げる道を持とうとした。

東側との直接戦争に向け、アメリカによって核兵器搭載可能の中距離弾道ミサイルが西欧諸国に配備され、アメリカ製兵器が各国に供給された(ニュークリア・シェアリング)。途中、アメリカやイギリスと外交歩調がずれ、独自戦略の路線に踏みきったフランスは1966年に軍事機構から離脱、そのため、1967年にNATO本部がパリからベルギーのブリュッセルに移転した。一方、戦闘機などの航空兵器分野では、開発費増大も伴って、欧州各国が共同で開発することが増えたが、これもNATO同盟の枠組みが貢献している。航空製造企業エアバス誕生も、NATOの枠組みによって西欧の一員となった西ドイツとフランスの蜜月関係が生んだものと言える。

西欧はアメリカの庇護を利用する事によって、ソ連をはじめとする東欧の軍事的な脅威から国を守ることに成功し、「冷戦」の名の通り、欧州を舞台とした三度目の大戦は阻止された。つまり、NATOは冷戦期間中を通じ、実戦を経験することはなかった。

冷戦終結後

1989年のマルタ会談で冷戦が終焉し、続く東欧の動乱と1991年のソ連崩壊によりNATOは大きな転機を迎え、新たな存在意義を模索する必要性に迫られた。1991年に「新戦略概念」を策定し、脅威対象として周辺地域における紛争を挙げ、域外地域における紛争予防および危機管理(非5条任務)に重点を移した。また域外紛争に対応する全欧州安保協力機構(OSCE)、東欧諸国と軍事・安全保障について協議する北大西洋協力評議会(NACC)を発足させ、加盟国外でもNATOの軍事的抑止力を享受できることを確認した。

1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナにおける内戦では、初めてこの項目が適用され、1995年より軍事的な介入と国際連合による停戦監視に参加した。続いて1999年のコソボ紛争ではセルビアに対し、NATO初の軍事行動となった制裁空爆を行い存在感を発揮したものの、アメリカ主導で行われた印象を国際社会に与えてしまった。

一方で、ソ連の崩壊によりソ連の影響圏に置かれていた東欧諸国が相次いでNATO加盟を申請し、西欧世界の外交的勝利を誇示したが、拡大をめぐる問題も発生した。旧東側諸国の多くがソ連に代わる自国の安全保障政策としてNATO加盟を希望する一方、拡大に警戒心を持つロシアはその動きを牽制した。1994年、「平和のためのパートナーシップ」(PfP)によって、東欧諸国との軍事協力関係が進展し、1999年にポーランド、チェコ、ハンガリーの3カ国、2004年に7カ国、2009年に2カ国が加盟するに至る。こうして旧ワルシャワ条約機構加盟国としては、バルト三国を除く旧ソ連各国(ロシア・ベラルーシ・ウクライナ・モルドバ)を残し、他はすべて西欧圏に引き込まれた。

対テロ戦争

2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件への対応については、10月2日に北大西洋条約第5条を発動し、共同組織としては行動しなかったものの、アフガニスタン攻撃(アフガン侵攻、イスラム武装勢力タリバンをアフガン政府から追放した作戦)やアメリカ本土防空、領空通過許可等の支援を実施している。その後の対テロ戦争には賛同しつつも、各国が自主的に参戦するに留め、新生アフガン軍の訓練にNATOの教官が参加することで協力した。

しかし、2003年のイラク戦争にはフランス・ドイツが強硬に反対したために足並みは乱れ、アメリカに追従するポーランドなど東欧の新加盟国と、フランス・ドイツなど旧加盟国に内部分裂した。

2005年にはアフガニスタンでの軍事行動に関する権限の一部が、イラク戦争で疲弊したアメリカ軍からNATOに移譲され、NATO軍は初の地上軍による作戦を行うに至った。

2006年7月にはアフガンでの権限を全て委譲され、NATO以外を含める「多国籍軍」を率いることとなったが、同時期にタリバンがアフガン南部各地で蜂起し、NATOと戦闘となっている。アフガンのNATOはイギリス軍4000名が最大であるように、加盟各国ともに拠出兵力に限界があり、戦闘は苦しいものとなっている。また、フランス・ドイツはこの戦闘作戦には参加しておらず、加盟国の内部分裂とアフガンでの疲弊により、NATOは新たな国際戦略の練り直しが必要とされている。

新冷戦

2000年代後半に入り、アメリカが推進する東欧ミサイル防衛問題や、ロシアの隣国であるジョージア、ウクライナがNATO加盟を目指していることに対し、経済が復興してプーチン政権下で大国の復権を謳っていたロシアは強い反発を示すようになった。2008年8月にはグルジア紛争が勃発、NATO諸国とロシアの関係は険悪化し、「新冷戦」と呼ばれるようになった。ロシアは2002年に設置されたNATOロシア理事会により準加盟国的存在であったが、2008年8月の時点ではNATOとの関係断絶も示唆していた。だが、2009年3月には関係を修復した。

しかしロシアはウクライナ、ジョージアのNATO加盟は断固阻止する構えを見せており、ロシアのウラジーミル・プーチン首相は、もし2008年のNATO-ロシアサミットでウクライナがNATOに加盟する場合、ロシアはウクライナ東部(ロシア人住民が多い)とクリミア半島を併合するためにウクライナと戦争をする用意があると公然と述べた。そして、プーチンの言葉通りウクライナにおいて親欧米政権が誕生したのを機に、クリミア半島及びウクライナ東部でロシアが軍事介入を行い、ウクライナ東部では紛争となっている(東部ウクライナ紛争)。

このようなことから、NATOとロシアは未だ緊張関係にあると言える。

介入した紛争

北大西洋条約機構が介入したのはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争コソボ紛争、マケドニア紛争、アフガニスタン紛争 (2001年-)、2011年リビア内戦。2011年リビア内戦においては、2011年3月17日にリビア上空の飛行禁止区域を設定した国連安保理の国際連合安全保障理事会決議1973を受けて3月19日よりNATO軍が空爆を開始し、反体制派のリビア国民評議会を支援。カダフィ政権を打倒する最大の要因となった。

日本との関係

冷戦時代には、かつての「列強」であった日米欧の三極が西側陣営の主軸を構成していたが、日米や欧米の関係が緊密なものだったのに比べ、地理的・歴史的な要因もあって日欧の連携は比較的疎遠なものであった。それでも自衛隊では在日米軍が使用する武器弾薬との互換性を確保するためにNATO弾を使用しているほか、さまざまなNATO規格を採用している。近年では、2005年にNATO事務総長が訪日、また2007年には安倍晋三首相が欧州歴訪の一環としてNATO本部を訪問しており、人的交流の面でも新たな関係が構築されはじめている。このとき安倍首相が来賓として演説を行った北大西洋理事会 (NAC) では、それに続くNATO加盟各国の代表との会談のなかで主要国が軒並み日本との緊密な協力関係を構築することに賛意を表したことが注目された。これ以降、NACの下部組織である政治委員会と自衛隊との非公式な協議が開催されたり、ローマにあるNATO国防大学の上級コースへ自衛官が留学するようになるなど、NATOの災害派遣演習へ自衛官がオブザーバーとしての参加するようになり、実務レベルでの提携も行われるようになった。 2014年5月6日にも、安倍首相が欧州歴訪の際にNATOのラスムセン事務総長と会談。海賊対策のためのNATOの訓練に自衛隊が参加することや、国際平和協力活動に参加した経験を持つ日本政府の女性職員をNATO本部に派遣することなどで合意。さらに日本とNATOとの間で具体的な協力項目を掲げた「国別パートナーシップ協力計画」(IPCP)に署名した。

またNATOはアフガニスタンにおける活動の中で、現地の日本大使館が行っている人道支援や復興活動に注目しており、軍閥の武装解除を進める武装解除・動員解除・社会復帰プログラム (DDR)の指導者的立場にある日本との連携を模索している。

さらには、日本をNATOに加盟させようとする動きもある。これはNATOを北大西洋地域に限定せずに世界規模の機構に発展させた上で、日本・オーストラリア・シンガポール・インド・イスラエルを加盟させるべきだという意見で、ニューヨークのルドルフ・ジュリアーニ元市長、ブルッキングス研究所のアイボ・ダールダーシニアフェローなどが提唱している。

具体的な協力

2008年10月現在、日本政府はアフガニスタンで国際治安支援部隊(ISAF)を展開するNATOに対し財政支援を行っており、NATO・ISAF側は広報センターを通じてこの事実をファクトシートの形で公表している。日本の対NATO協力の変遷は次のとおり。

  • 2007年1月、安倍首相が北大西洋理事会で演説。
  • 2007年3月、アフガニスタンでの人道支援プロジェクトのために約20億円の財政支援を実施。
  • 2007年12月、NATO文民代表部との連絡促進のため常勤の連絡調整員を指名。
  • 2010年6月25日、「日・NATO情報保護協定」を締結(日本が情報保護協定を結ぶのは、「日米軍事情報包括保護協定」(2007年にアメリカとの間で締結)に次ぎ2例目である)。

NATOのアフガニスタンでの活動に対する日本の財政支援は、政府の「草の根無償・人間の安全保障資金協力 (GAGP) スキーム」の範囲内で行われている。2008年10月2日現在、日本政府はGAGPの方針に従い29のプロジェクト支援を実施しており、その総額はおよそ260万ドルに及んでいる。NATOによれば、政府はさらに39のプロジェクトへの追加資金協力を検討しているという。

加盟国

2017年現在29カ国

1949年

  • アイスランド
  • アメリカ合衆国
  • イギリス
  • イタリア
  • オランダ
  • カナダ
  • デンマーク
  • ノルウェー
  • フランス
  • ベルギー
  • ポルトガル
  • ルクセンブルク

フランスは1966年にNATOの軍事機構から離脱した(政治機構には継続して加盟)。1992年に軍事委員会への復帰を表明、1995年にはシラク大統領が軍事機構への復帰も示唆したが、実現しなかった。だが、親米路線を強調するサルコジ大統領は2007年11月に再び復帰を示唆し、2008年6月にNATO創設60周年(2009年4月)に合わせて復帰するとし、2009年3月11日に復帰の意向を表明。2009年4月4日の首脳会議でNATO軍事機構への43年ぶりの完全復帰を宣言した。

1952年

  • ギリシャ
  • トルコ

ギリシャは1974年にNATO軍事機構を脱退したが、1980年に再加盟している。

1955年

  • ドイツ

ドイツは当初西ドイツとして加盟、1990年ドイツ再統一(より厳密には東ドイツの連邦加盟、事実上は西ドイツによる東ドイツ編入)に伴い、旧東ドイツ区域にも拡大

1982年

  • スペイン

1999年

  • チェコ
  • ハンガリー
  • ポーランド

2004年

  • エストニア
  • スロバキア
  • スロベニア
  • ブルガリア
  • ラトビア
  • リトアニア
  • ルーマニア

2009年

  • アルバニア
  • クロアチア

2017年

  • モンテネグロ

ロシアは2002年5月に結成したNATOロシア理事会によって準加盟国扱い。

国際関係

NATOは加盟国以外にもさまざまなパートナーシップ協定を非加盟国との間に締結しており、多くの国と協力関係や友好関係を築いている。まず1994年には平和のためのパートナーシップがNATO諸国と旧ソビエト連邦諸国・旧ユーゴスラビア諸国・欧州の中立国との間に締結され、アイルランド、アゼルバイジャン、アルメニア、ウクライナ、ウズベキスタン、オーストリア、カザフスタン、キルギス、ジョージア、スイス、スウェーデン、セルビア、タジキスタン、トルクメニスタン、フィンランド、ベラルーシ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、マルタ、モルドバ、モンテネグロ、ロシアの22か国が加盟している。これら22か国とNATO加盟28か国、あわせて50か国によってEAPC(欧州・大西洋パートナーシップ理事会)が設立され、政治上・安全保障上の問題について会合を開いている。このほか、ヨーロッパ・旧ソ連の諸国とは「加盟のための行動計画」(MAP)や「個別的パートナーシップ行動計画」(IPAP)なども締結されている。北アフリカや中東諸国に対しては1994年に地中海対話(Mediterranean Dialogue)を締結し、NATO諸国とアルジェリア、エジプト、イスラエル、ヨルダン、モーリタニア、モロッコ、チュニジアの7か国との間で協力体制を築いている。同様に、ペルシャ湾岸地域に対しても2004年にイスタンブール協力イニシアティブ(ICI)を提唱し、クウェート、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦の湾岸4か国と協力体制をとっている。このほかにも、個別の協力関係が日本やオーストラリア、ニュージーランドなどと結ばれている。

組織構成

NATOには超国家的な中央機構は存在しておらず、その盟主は「各加盟国の政府それぞれ」であり「各国政府の権利は平等」とされている。そのため中央機関であり、加盟国の政府代表が参加する北大西洋理事会(NAC)においては、あらゆる議案が『全会一致』によって承認・決定されている。多数決の制度は採用されていない。

理事会ではNATOがもつあらゆる問題が協議され、各加盟国からの代表によって週一回行われる『常設理事会』と、慣例上年2回行われる外相・国防相など閣僚クラスの理事会、さらに臨時で行われる首脳会合などによって意思決定が行われる。この席上においてNATO事務総長は理事会の実施する各種会議の議長としての役職を担い、事務総局はその補佐を行う。

また一時期フランスがNATO軍事機構からの脱退、およびその理由として挙げられた「アメリカ主導による軍事計画の進行」という事由から、特に軍事関係の意思決定は理事会ではなく各国の国防担当大臣により構成される『防衛計画委員会』によって行われる。また核問題に関しては専門の『核計画グループ』も存在しており、核に関連する項目に関しては理事会と同等の権限が付与されている。

これら理事会・防衛計画委員会の下にはさらに、この二つの組織を支援するための常設委員会が設置されており、また必要にあわせて臨時の委員会も設置が可能となっている。

軍事機構に関しては、『軍事委員会』が理事会と防衛計画委員会の決定のもとでNATO軍の各級司令部を統制する。この軍事委員会は任期制の委員長と各加盟国軍の参謀総長クラスの将官によって構成され、下部組織として加盟国の大将・中将により構成される『常設軍事代表委員会』、各国軍の派遣幕僚による『国際参謀部』が付設されている。

  • 北大西洋理事会(各種問題の協議)
  • 防衛計画委員会(軍事問題の協議 2010年にNACに吸収)
  • 核計画グループ(核問題に関する審議)
    • NATO事務総長(理事会主催の会合での議長役)
      • 国際事務総局
    • 軍事委員会(軍事機構の統括)
      • 常設軍事代表委員会
      • 国際参謀部
    • 常設委員会(理事会の支援)

機構軍

当初は軍事計画の立案を実施する「常設グループ」(ワシントンに設置)と「地域計画グループ」(各地域に設置)のみが設置されており、本格的な軍事機構が設置されるのは旧西ドイツが加盟して以降であった。 軍事機構の成立後、NATOの各級司令部は概して欧州方面とアメリカ方面とに分かれており、その組織機構の大半は欧州に集中している。これらの組織は地域レベルの司令部や特定種類の部隊・集団の統括組織としての役割をもつが、平時において下部組織に対しては査察権限のみを有し、指揮統制権は戦時にのみ発生するものとされている。ただし、航空関係の各部隊は即応性を求められることもありその大半がすでに各級司令部の指揮下に収められている。

 発足当初の機構

  • 常設グループ(ワシントンに設置)
    • 北大西洋・カナダおよびアメリカ・西欧・北欧・南欧および地中海の5個地域計画グループ

1960年代以降の組織機構

  • 欧州連合軍 ACE
    • 北欧連合部隊
    • 中欧連合部隊
    • 南欧連合部隊
    • 地中海潜水艦部隊
  • 大西洋連合軍 ACLANT
    • 大西洋打撃艦隊 アメリカ海軍の第2艦隊
    • 東大西洋管区
    • 西大西洋管区
    • 大西洋連合潜水艦部隊
  • 海峡地区連合軍 ACCHAN
  • 地中海連合軍

現在(2010年代)の機関・部隊

  • 作戦連合軍(旧欧州連合軍 司令官はアメリカ欧州軍司令官が兼任)
    • 欧州連合軍最高司令部(ベルギー・モンス駐在 最上級作戦司令部)
    • ブルンスム統連合軍司令部(オランダ・ブルンスム駐在 欧州北部を担当)
      • ノースウッド連合海上部隊司令部(イギリス・ノースウッド司令部内駐在 管区内の海上部隊を統括・指揮)
      • ラムシュタイン連合航空部隊司令部(ドイツ・ラムシュタイン空軍基地内駐在 管区内の航空部隊を統括・指揮)
      • ハイデルベルク連合陸上部隊司令部(ドイツ・ハイデルベルク在 管区内の地上部隊を統括・指揮)
    • ナポリ統連合軍司令部(イタリア・ナポリ駐在 欧州南部を担当)
      • ナポリ連合海上部隊司令部(イタリア・ナポリ駐在 管区内の海上部隊を統括・指揮)
      • イズミル連合航空部隊司令部(トルコ・イズミル駐在 管区内の航空部隊を統括・指揮)
      • マドリッド連合陸上部隊司令部(スペイン・マドリッド駐在 管区内の地上部隊を統括・指揮)
      • NATOサラエボ司令部(旧ユーゴスラヴィア安定化作戦のための臨時編成)
      • NATOティラナ司令部(旧ユーゴスラヴィア安定化作戦のための臨時編成)
      • NATOスコピエ司令部(旧ユーゴスラヴィア安定化作戦のための臨時編成)
    • リスボン統連合軍司令部(ポルトガル・リスボン駐在 海上配備打撃戦力を担当 ブルンスム、ナポリの両司令部より小規模)
      • NATO即応部隊(NRF ブルンスム、ナポリ、リスボンの三司令部がローテーションで指揮を担当)
    • 即応部隊司令部(陸上部隊主体の即応部隊を統括)
      • 欧州連合軍即応部隊(ARRC)司令部(旧イギリス第1軍団 ドイツ駐留イギリス軍主体)
      • 欧州合同軍(EUROCORPS)司令部(フランス・ストラスブール駐在)
      • イタリア即応部隊司令部(イタリア・ミラノ駐在 イタリア軍主体)
      • トルコ即応部隊司令部(トルコ・イスタンブール駐在 トルコ軍主体)
      • ドイツ=オランダ即応部隊司令部(ドイツ・ミュンスター駐在)
      • スペイン即応部隊司令部(スペイン・バレンシア駐在)
      • ギリシア即応部隊司令部(ギリシア駐在)
    • その他部隊
      • 即応部隊航空参謀部
      • NATO早期警戒部隊(AWACSの共同運用)
      • 海上即応部隊司令部
      • 欧州連合軍機動部隊(空中機動部隊)
      • 海上打撃・支援部隊
      • 第1常設NATO海洋グループ(常設大西洋艦隊、同盟国による持ち回り)
      • 第2常設NATO海洋グループ(常設地中海艦隊、同盟国による持ち回り)
      • 常設海峡艦隊(同盟国による持ち回り)
  • 変革連合軍(旧大西洋連合軍 司令官はアメリカ統合戦力軍司令官が兼任)
    • 沿革連合軍最高司令部
    • 統合軍事センター
    • NATO統合軍訓練センター
    • NATO海上阻止行動訓練センター
    • NATO深海調査センター
  • その他の組織
    • カナダ=アメリカ地域計画作業部会
    • NATO早期警戒指揮管制部隊司令部(SHAPEと同居)
    • 統合運用計画参謀部(SHAPEと同居)
    • 情報通信局(ベルギーに置かれ、NATOに対するサイバー攻撃を監視)
    • 戦略コミュニケーション・センター(リトアニアの首都リガに設置され、ロシアによる世論工作などを調査・監視)

歴代事務総長

北大西洋条約機構事務総長(きたたいせいようじょうやくきこうじむそうちょう Secretary General of the North Atlantic Treaty Organization)は、北大西洋条約機構(NATO,North Atlantic Treaty Organization)における外交官職であり、事務局の最高責任者である。欧州連合軍最高司令官と並ぶ重要な職務とされ、司令官がアメリカ人であるのに対し、事務総長はヨーロッパの政治家が就任している。その主な職務は、加盟各国間の調整や職員の統率である。2015年時点の事務総長は、ノルウェーのイェンス・ストルテンベルグ 。

北大西洋条約の第9条は、加盟各国に対し、各国代表者による理事会の設置を求めており、それに基づき北大西洋理事会が設置された。当初、理事会は加盟各国の外相による年次会合とされていた。1950年5月になり、より緊密な協力関係の構築及び国際業務の増大に対応するため、ロンドンに拠点を置き、各国は外相の全権代理となる代表を派遣した。代表の議長には、文民部門を含めて、機構を統率することが求められた。

代表による会合は、1950年7月25日に初めて開催され、議長にはアメリカ大使のチャールズ・スポフォードが選出された。機構の具体化のために、幾つかの組織が創設されたが、最も重要な事項としては、欧州連合軍司令官の単一指揮の元に統合した単一の軍事機構が設置されることがあった 。統合化も含めた機構の整備は、NATOの組織を急拡大させ、組織の一部として、代表の会合は外交分野のみならず国防や財政分野も含めた事項も取り扱うようになり、重要性を増していった。

機構の拡大とともに、代表の権限も増大したため、アメリカのW・アヴェレル・ハリマンを議長とする臨時理事会が開催された。この会議では、パリにNATOを統率する公式な事務局を設立するとし、それに対しNATOをより強化かつ協調させる組織となることや、北大西洋理事会議長以外の誰かが幹部となることを求めた。1952年2月のリスボン会合において、北大西洋理事会は機構の文民部門を統率し、文民職員を指揮し、理事会を支援する職務としての事務総長を設置することとした。

リスボン会合の後、各国は事務総長適任者の選定にあたった。駐米イギリス大使であったオリヴァー・フランクスを選出しようとしたが断られ、1952年3月13日に、イギリス陸軍の大将と内閣における英連邦大臣の経歴を有するヘイスティングス・イスメイが初代事務総長に就任した。事務総長は後に、北大西洋理事会の議長となるが、この時点ではスポフォードが議長であり、イスメイは副議長であった。イスメイは第二次世界大戦中における高位軍人の経歴に加え、戦後は外交官としての経験もあり、この職務は適職であったと評されている。

スポフォードがNATOを退いた後、組織改編によって、北大西洋理事会は年次で一名の儀礼的な代表を選出し、事務総長が理事会副代表として会合の議長を務めるとされた。イスメイは1957年5月まで事務総長を務めている。

イスメイの後任には、ベルギーの首相と外相の経験を持つポール=アンリ・スパークが就任している。

NATO事務総長 Secretary General of NATO

  1. ヘイスティングス・イスメイ (イギリス) 1952年4月4日1957年5月16日
  2. ポール=アンリ・スパーク (ベルギー) 1957年5月16日1961年4月21日
  3. ディルク・スティッケル (オランダ) 1961年4月21日1964年8月1日
  4. マンリオ・ブロジオ (イタリア) 1964年8月1日1971年10月1日
  5. ヨゼフ・ルンス (オランダ) 1971年10月1日1984年6月25日
  6. ピーター・キャリントン (イギリス) 1984年6月25日1988年7月1日
  7. マンフレート・ヴェルナー (ドイツ) 1988年7月1日1994年8月13日
  8. セルジョ・バランチーノ(代行) ( イタリア) 1994年8月13日1994年10月17日
  9. ウィリー・クラース (ベルギー) 1994年10月17日1995年10月20日
  10.  セルジョ・バランチーノ(代行) (イタリア) 1995年10月20日1995年12月5日
  11. ハビエル・ソラナ (スペイン) 1995年12月5日1999年10月6日
  12. ジョージ・ロバートソン (イギリス) 1999年10月14日2003年12月17日
  13. アレッサンドロ・ミヌート・リッゾ(代行) (イタリア) 2003年12月17日2004年1月1日
  14. ヤープ・デ・ホープ・スヘッフェル (オランダ) 2004年1月1日2009年8月1日
  15. アナス・フォー・ラスムセン (デンマーク) 2009年8月1日2014年10月1日
  16. イェンス・ストルテンベルグ (ノルウェー) 2014年10月1日

NATO事務次長 Deputy Secretaries General of NATO

  1.  Jonkheer van Vredenburch (オランダ) 1952年1956年
  2. Baron Adolph Bentinck (オランダ) 1956年1958年
  3. Alberico Casardi (イタリア) 1958年1962年
  4. Guido Colonna di Paliano (イタリア) 1962年1964年
  5. James A. Roberts (カナダ) 1964年1968年
  6. Osman Olcay  (トルコ) 1969年1971年
  7. Paolo Pansa Cedronio (イタリア) 1971年1978年
  8. Rinaldo Petrignani (イタリア) 1978年1981年
  9. Eric da Rin (イタリア) 1981年1985年
  10. Marcello Guidi (イタリア) 1985年1989年
  11. Amedeo de Franchis (イタリア) 1989年1994年
  12. セルジョ・バランチーノ (イタリア) 1994年2001年
  13. アレッサンドロ・ミヌート・リッゾ (イタリア) 2001年2007年
  14. クラウディオ・ビソニェーロ (イタリア) 2007年2012年
  15. アレキサンダー・バーシュボウ (アメリカ合衆国) 2012年

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